長崎ちゃんぽん皿うどんのお店 順天の娘のブログ
長崎市坂本国際墓地登り口付近でちゃんぽん、皿うどんのお店を営業しております。そのお店の娘のブログです。
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昨日はなんでかテレビの中では長崎の農産物紹介オンパレード
まずは所さんの目がテンでは、じゃがいもの科学というタイトルで、長崎県島原市のじゃがいも農家さんがじゃがいもについて解説していました。
じゃがいもって実じゃなくて、茎なんですって。

地下茎の先にでんぷんが集まったものがじゃがいもなんだそうです。ビタミンCの塊~

長崎が北海道に次ぐ産地・・・ということはこのブログでも度々書いてきましたが(でも北海道の方が圧倒的に量多いけどね~^^;)、

収穫すると、すぐ出荷されるようで、長崎では新じゃがしか出荷していないのだとか。

採れたてをすぐ出荷=新じゃがで、

新じゃがは3月~10月までは出回っていて、九州を出発して、北上していくものらしい。私たちは11月~2月を除き、どこかしらの新じゃがを食べられるというありがたい環境にあるのだそうです。

そういえば、以前鉄腕ダッシュの出張ダッシュ村でも、雲仙のジャガイモ収穫の様子が紹介されていて、
↓どこでもこの方法かはわかりませんが、茎を抜き、

↓地中のじゃがいもを掘り起し、

↓ある程度の大きさに選別しながら、コンテナに入れていくという作業らしい。これがすんごく大変なんだとか。

↓その後機械で選別されつつも、新じゃがはデリケートなため、箱の方が受けに行くという箱づめをやっているそうです。

よくよく考えられているじゃがいもを私たちは食べている~
しかも長崎の新じゃがは葉が青いうちに掘るそうで、皮が薄くみずみずしいのだとか。
葉が青いうちでも、鉄分が豊富な土地で作られているので、味は十分濃くなっているのだとか。
これも出張ダッシュ村で放送されていました。
で、夜テレビをつけると、鉄腕ダッシュ、出張ダッシュ村では、大島トマトのところへTOKIOの国分さんと長瀬さんが来ていました。
大島トマトは、長崎県西海市大島の大島造船所の中で作られています。
なんで造船所なんだろう?って私も思っていたのですが、不況の時の苦肉の策だったのだとか。
そういえば、三菱重工の関連の派遣会社、ダイヤモンドスタッフでもいつの間にか農業部というところができていて、ダイヤトマトというトマトを作っています。
↓大島造船所のマークにトマトが入ってる~^^;

大島トマトの品種はファーストという、昔からあるトマトの品種だそうで、栽培が難しいく、先がとんがってて、梱包も大変なので、流通に不向きなんだとか。

しかし、大島トマトは甘さだけでなく、酸味、旨みもある絶品トマト。造船所の部署の中に農産部という部があり、その部にわざわざ就職する人もいるのだとか。
↓トマトブランドの地位確立

甘いトマトの見分け方として、
放射状の線がくっきりあるほど甘い、
身が締まってるので水につけると沈む、
ゼリー部分が少ない。(ゼリー部分はクエン酸なので、少ないほど酸味を感じないそうです。)
とんがりが鋭いほど甘い、
トマトの身からも毛が生えている、(水分が極限まで減らされているので、なんとか空気中から水分を取ろうと頑張ってる証らしい。)
なんてのがあるらしいです。参考にせねば~つ~か、大島トマト、我が家の近所のスーパーまで来ていない~(:_;)どっか高級スーパーに行ってるんでしょうか・・・。

大島トマトブランドをいただけるのは大島造船所内で栽培された糖度8度以上のトマト、
特に9度以上で、形、色、味、糖度を厳選したものが「ルビーの雫」というらしい。
↓焼酎発見。でも年1回しか売られないらしい。もう売り切れでした(;´Д`)

トマトもじゃがいもも元はアンデスのもの。長崎とアンデスって縁が深いのでしょうか~?
トマトは日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初といわれ、
日本にじゃがいもが伝来したのは慶長三年(1598)?慶長八年(1603)?
オランダ人によってジャワ島のジャガタラ(またはジャガトラ:インドネシアの首都ジャカルタの旧名)から長崎に持ち込まれたので、ジャガタラ芋と呼ばれ、転じてじゃが芋と言われるようになったそうです。(ジャガイモは、南米→メキシコ→スペイン→ヨーロッパ→オランダ→インドネシア→中国というルートで広まったらしい)
日本では長崎の地から広がったようですが、今も長崎を、日本人を、助けてくれている作物なんですね(^^)
うちも農産物を材料に料理を作っているので、とても大事に思っているのですが、それはみんなが思っていること。
どうかいつまでも豊作でありますように・・・
↓ちゃんぽんコロッケや新じゃがアイスなんてのもあるらしく、大島トマトのケーキもあるらしい。うちも負けてられないわ~(^.^)/~~~


↓この政策、吉とでるか?凶と出るか?みなさんはどう思われますか?


まずは所さんの目がテンでは、じゃがいもの科学というタイトルで、長崎県島原市のじゃがいも農家さんがじゃがいもについて解説していました。
じゃがいもって実じゃなくて、茎なんですって。

地下茎の先にでんぷんが集まったものがじゃがいもなんだそうです。ビタミンCの塊~


長崎が北海道に次ぐ産地・・・ということはこのブログでも度々書いてきましたが(でも北海道の方が圧倒的に量多いけどね~^^;)、

収穫すると、すぐ出荷されるようで、長崎では新じゃがしか出荷していないのだとか。

採れたてをすぐ出荷=新じゃがで、

新じゃがは3月~10月までは出回っていて、九州を出発して、北上していくものらしい。私たちは11月~2月を除き、どこかしらの新じゃがを食べられるというありがたい環境にあるのだそうです。

そういえば、以前鉄腕ダッシュの出張ダッシュ村でも、雲仙のジャガイモ収穫の様子が紹介されていて、
↓どこでもこの方法かはわかりませんが、茎を抜き、

↓地中のじゃがいもを掘り起し、

↓ある程度の大きさに選別しながら、コンテナに入れていくという作業らしい。これがすんごく大変なんだとか。

↓その後機械で選別されつつも、新じゃがはデリケートなため、箱の方が受けに行くという箱づめをやっているそうです。

よくよく考えられているじゃがいもを私たちは食べている~

しかも長崎の新じゃがは葉が青いうちに掘るそうで、皮が薄くみずみずしいのだとか。
葉が青いうちでも、鉄分が豊富な土地で作られているので、味は十分濃くなっているのだとか。
これも出張ダッシュ村で放送されていました。
で、夜テレビをつけると、鉄腕ダッシュ、出張ダッシュ村では、大島トマトのところへTOKIOの国分さんと長瀬さんが来ていました。
大島トマトは、長崎県西海市大島の大島造船所の中で作られています。
なんで造船所なんだろう?って私も思っていたのですが、不況の時の苦肉の策だったのだとか。
そういえば、三菱重工の関連の派遣会社、ダイヤモンドスタッフでもいつの間にか農業部というところができていて、ダイヤトマトというトマトを作っています。
↓大島造船所のマークにトマトが入ってる~^^;

大島トマトの品種はファーストという、昔からあるトマトの品種だそうで、栽培が難しいく、先がとんがってて、梱包も大変なので、流通に不向きなんだとか。

しかし、大島トマトは甘さだけでなく、酸味、旨みもある絶品トマト。造船所の部署の中に農産部という部があり、その部にわざわざ就職する人もいるのだとか。
↓トマトブランドの地位確立


甘いトマトの見分け方として、
放射状の線がくっきりあるほど甘い、
身が締まってるので水につけると沈む、
ゼリー部分が少ない。(ゼリー部分はクエン酸なので、少ないほど酸味を感じないそうです。)
とんがりが鋭いほど甘い、
トマトの身からも毛が生えている、(水分が極限まで減らされているので、なんとか空気中から水分を取ろうと頑張ってる証らしい。)
なんてのがあるらしいです。参考にせねば~つ~か、大島トマト、我が家の近所のスーパーまで来ていない~(:_;)どっか高級スーパーに行ってるんでしょうか・・・。

大島トマトブランドをいただけるのは大島造船所内で栽培された糖度8度以上のトマト、
特に9度以上で、形、色、味、糖度を厳選したものが「ルビーの雫」というらしい。
↓焼酎発見。でも年1回しか売られないらしい。もう売り切れでした(;´Д`)

トマトもじゃがいもも元はアンデスのもの。長崎とアンデスって縁が深いのでしょうか~?
トマトは日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初といわれ、
日本にじゃがいもが伝来したのは慶長三年(1598)?慶長八年(1603)?
オランダ人によってジャワ島のジャガタラ(またはジャガトラ:インドネシアの首都ジャカルタの旧名)から長崎に持ち込まれたので、ジャガタラ芋と呼ばれ、転じてじゃが芋と言われるようになったそうです。(ジャガイモは、南米→メキシコ→スペイン→ヨーロッパ→オランダ→インドネシア→中国というルートで広まったらしい)
日本では長崎の地から広がったようですが、今も長崎を、日本人を、助けてくれている作物なんですね(^^)
うちも農産物を材料に料理を作っているので、とても大事に思っているのですが、それはみんなが思っていること。
どうかいつまでも豊作でありますように・・・

↓ちゃんぽんコロッケや新じゃがアイスなんてのもあるらしく、大島トマトのケーキもあるらしい。うちも負けてられないわ~(^.^)/~~~


↓この政策、吉とでるか?凶と出るか?みなさんはどう思われますか?

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