長崎ちゃんぽん皿うどんのお店 順天の娘のブログ
長崎市坂本国際墓地登り口付近でちゃんぽん、皿うどんのお店を営業しております。そのお店の娘のブログです。
順天姉です。
昨日は中秋の名月といわれるお月さまでした。
私の家からはとってもきれいなお月さまが見えたのですが、皆様のところはいかがだったでしょうか?
中秋の名月と言っても、満月にあたる時は少ないのだそうです。
今年は6年ぶりに満月だったそうですよ。
昨年も中秋の名月に盛りあがった順天姉でしたが、昨年のは満月じゃなかったんだ~
「秋」というだけで、秋にちなんだものを見つけては盛り上がれる私ですが、家族の中でこんな事に盛り上がれるのは実は私だけ
順天の家族も、今の家族も案外冷めているので、私ひとり浮いてたりします
順天妹にいたっては、「おねーちゃんって暇かよね」ときつーーーーい一言を言ったりします。
ひどい~~~
順天父に言うと「そうか~」(だから何?的言い方です
)
順天母に言うと「あたしは忙しか!!」(と、怒られる
)
順天孫1,2、に言うと「へ~そうね」(よかったね、おねえちゃん的言い方で、かな~り年下なのに、気を使って相手をしてあげてる・・・という言い方をされます
)
旦那は、そこまでは言いませんが、別の人種と割り切ってるようです(もはや相手にされていない感あり
)
それでもめげずに来年もまた「中秋の名月~♪」と言ってるんだろうなぁ・・・私(^^ゞ
↓最初私が見た時は、雲がまわりにあって、すっきりしなかったんです。旦那に「雲のいっぱいでとる~
」と言うと、「この写真はこれはこれでいいじゃん」・・・と言ってくれたんですが、私は「いや、晴れんば気のすまん」・・と粘った結果。

↓じゃじゃ~ん。すっきり晴れて、さわやかな満月に~♪

あ~満足(^^)
昨日は中秋の名月といわれるお月さまでした。
私の家からはとってもきれいなお月さまが見えたのですが、皆様のところはいかがだったでしょうか?
中秋の名月と言っても、満月にあたる時は少ないのだそうです。
今年は6年ぶりに満月だったそうですよ。
昨年も中秋の名月に盛りあがった順天姉でしたが、昨年のは満月じゃなかったんだ~

「秋」というだけで、秋にちなんだものを見つけては盛り上がれる私ですが、家族の中でこんな事に盛り上がれるのは実は私だけ

順天の家族も、今の家族も案外冷めているので、私ひとり浮いてたりします

順天妹にいたっては、「おねーちゃんって暇かよね」ときつーーーーい一言を言ったりします。
ひどい~~~

順天父に言うと「そうか~」(だから何?的言い方です

順天母に言うと「あたしは忙しか!!」(と、怒られる

順天孫1,2、に言うと「へ~そうね」(よかったね、おねえちゃん的言い方で、かな~り年下なのに、気を使って相手をしてあげてる・・・という言い方をされます

旦那は、そこまでは言いませんが、別の人種と割り切ってるようです(もはや相手にされていない感あり

それでもめげずに来年もまた「中秋の名月~♪」と言ってるんだろうなぁ・・・私(^^ゞ
↓最初私が見た時は、雲がまわりにあって、すっきりしなかったんです。旦那に「雲のいっぱいでとる~


↓じゃじゃ~ん。すっきり晴れて、さわやかな満月に~♪

あ~満足(^^)
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順天姉です。
今日はイベントのご紹介です・・・って旦那のイベントなんだけど^^;
旦那は知り合った頃から、どっかのバンドのボーカルでした。
そして今もボーカルをやってます。
仕事しながら、家族養いながら、たまに育児を手伝いながら、そしてボーカルをしています。
そこそこ家庭の事もやってくれるなかなかの奴です。
そんな彼のライブが明日あります。
大阪の西九条ブランニューというところです。
バンド名はFiregardenというバンドです。
ハードロックのバンドです。
興味がある方がおられましたら、聞きに行ってみてくださ~い(^.^)/~~~
西九条BRAND NEW
旦那のブログはこちらです^^;
夢は災害が起こった時に、チャリティーでたくさんお金が集められるようなアーティストになりたいのだそうです。ま~家庭を壊さない程度にがんばって~っと嫁は結構冷たいのであった(^.^)
今日はイベントのご紹介です・・・って旦那のイベントなんだけど^^;
旦那は知り合った頃から、どっかのバンドのボーカルでした。
そして今もボーカルをやってます。
仕事しながら、家族養いながら、たまに育児を手伝いながら、そしてボーカルをしています。
そこそこ家庭の事もやってくれるなかなかの奴です。
そんな彼のライブが明日あります。
大阪の西九条ブランニューというところです。
バンド名はFiregardenというバンドです。
ハードロックのバンドです。
興味がある方がおられましたら、聞きに行ってみてくださ~い(^.^)/~~~
西九条BRAND NEW
旦那のブログはこちらです^^;
夢は災害が起こった時に、チャリティーでたくさんお金が集められるようなアーティストになりたいのだそうです。ま~家庭を壊さない程度にがんばって~っと嫁は結構冷たいのであった(^.^)
順天姉です。
今日は立春。
順天父の誕生日でもあります。
思えば彼の人生は波乱万丈。
原爆時は防空壕で昼寝をしていて、起きたら原爆の惨状だったそうです。
浦上駅で死体を焼いていたんだとか・・・。
その世代の人ってホントによく生きてこられたな~と思います。
が、そんな世の中を生き抜いてきたからか、ちょっと順天父は変わり者。
お店に来られたお客様はと~~ってもよくおわかりかと思います。
しゃべるのが楽しみの余生なので、もしよろしければ、お付き合いいただけたらと思います。
↓浦上駅の隣に

↓今もひっそりと慰霊碑がたたずんでいます。

順天父列伝
・ある日、お店の前をどう見ても海外の人にしか見えない人に「お~どっからきたとね。」と日本語でしゃべりかける。相手は困惑してました(ーー;)
・お店の仕事をさぼってよく将棋に行く。で、後で「さぼっとったね」と言うと「いや、出前の皿ば取りに行っとった」と言い張る。お客さんから「あんたんとこのお父さんはあじさい荘(お年寄りの集会所)におったばい」と情報入ってるのに、子供みたいな言い訳(;一_一)
・三輪明宏さんの話をしていたら「あの”丸山”の奴やろ」と。知り合いかお前は~~(-"-)
・孫に「じいちゃん、ゲームしよ~」と言われたら「じいちゃん今ゲームするごてなか」とあっさり断れる。孫と遊ぶくらいしてやれ~~(ー_ー)!!
こんな順天父ですが、「あんたんとこのお父さんはおもしろかね~」と評判。いやいや「結構大変なんですけど~(;_;)」と家族はひきつってます。
そんな順天父ですが、これからもまだまだお店で活躍してもらおうと思っておりますので、よろしくお願いいたしますm(__)m
今日は立春。
順天父の誕生日でもあります。
思えば彼の人生は波乱万丈。
原爆時は防空壕で昼寝をしていて、起きたら原爆の惨状だったそうです。
浦上駅で死体を焼いていたんだとか・・・。
その世代の人ってホントによく生きてこられたな~と思います。
が、そんな世の中を生き抜いてきたからか、ちょっと順天父は変わり者。
お店に来られたお客様はと~~ってもよくおわかりかと思います。
しゃべるのが楽しみの余生なので、もしよろしければ、お付き合いいただけたらと思います。
↓浦上駅の隣に

↓今もひっそりと慰霊碑がたたずんでいます。

順天父列伝
・ある日、お店の前をどう見ても海外の人にしか見えない人に「お~どっからきたとね。」と日本語でしゃべりかける。相手は困惑してました(ーー;)
・お店の仕事をさぼってよく将棋に行く。で、後で「さぼっとったね」と言うと「いや、出前の皿ば取りに行っとった」と言い張る。お客さんから「あんたんとこのお父さんはあじさい荘(お年寄りの集会所)におったばい」と情報入ってるのに、子供みたいな言い訳(;一_一)
・三輪明宏さんの話をしていたら「あの”丸山”の奴やろ」と。知り合いかお前は~~(-"-)
・孫に「じいちゃん、ゲームしよ~」と言われたら「じいちゃん今ゲームするごてなか」とあっさり断れる。孫と遊ぶくらいしてやれ~~(ー_ー)!!
こんな順天父ですが、「あんたんとこのお父さんはおもしろかね~」と評判。いやいや「結構大変なんですけど~(;_;)」と家族はひきつってます。
そんな順天父ですが、これからもまだまだお店で活躍してもらおうと思っておりますので、よろしくお願いいたしますm(__)m
2010-03-24 14:44 |
カテゴリ:順天とは?
順天姉です。
今日は長崎のお友達へのお土産を買いに行きました。私がいつもお友達に送るのは、これはぜったいよそでは買えないと思える物を送るようにしています。なので必然的に小さなお店を選ぶ事が多いです。大きなお店よりこじんまりしたお店が好き撚というのもあるんですけどね。
チェーン店はどこにでもあって、ありすぎて特別ではなくなるので、私の中ではなんかはじけるものがないんです。
小さなお店はその事のスペシャルであろうと思っているポリシーが感じられるところが好きです。料理やパンやお菓子のお店なんかは特に料理人の人が一人変わっただけで味が変わるので、小さなお店は料理人さんが経営者という事が多いので、安心して食べられるってのもあります。
私は料理人ではないけど、料理人の母をずっと見ていますので、料理を作るのがどんなに大変かという事は少しはわかります。そして、味ってほんのちょっとで変わったりするんですよね。同じ物でも作ってる人で全然違うし、この人が作った○○が好き!ってので食べ物を買ったりします。
うちの料理も「順天母が作った料理が好き」って人が少しでも増えたらいいなぁって思います。
順天母はずっとこの小さなお店で順天の命であるスープを守ってきました。スープって赤ちゃんみたいに手間がかかるんですよね。でも何十年もずっと見守ってきてて、私はこれと同じってスープに出合った事はありません。
うちのスープって世界に1つだけなんだって気付いたのは、長崎を出た後です。主人ともども麺類が好きなので、いろんな地方で麺類を食べたのですが、順天の味と同じものはなかったです。
これから先もずっと残ってほしいなぁと思いつつブログを書いています。
が、順天ファミリーはそんな事考えてないだろうなぁ。呑気な家族だもん。姉がハラハラします。
今日は長崎のお友達へのお土産を買いに行きました。私がいつもお友達に送るのは、これはぜったいよそでは買えないと思える物を送るようにしています。なので必然的に小さなお店を選ぶ事が多いです。大きなお店よりこじんまりしたお店が好き撚というのもあるんですけどね。
チェーン店はどこにでもあって、ありすぎて特別ではなくなるので、私の中ではなんかはじけるものがないんです。
小さなお店はその事のスペシャルであろうと思っているポリシーが感じられるところが好きです。料理やパンやお菓子のお店なんかは特に料理人の人が一人変わっただけで味が変わるので、小さなお店は料理人さんが経営者という事が多いので、安心して食べられるってのもあります。
私は料理人ではないけど、料理人の母をずっと見ていますので、料理を作るのがどんなに大変かという事は少しはわかります。そして、味ってほんのちょっとで変わったりするんですよね。同じ物でも作ってる人で全然違うし、この人が作った○○が好き!ってので食べ物を買ったりします。
うちの料理も「順天母が作った料理が好き」って人が少しでも増えたらいいなぁって思います。
順天母はずっとこの小さなお店で順天の命であるスープを守ってきました。スープって赤ちゃんみたいに手間がかかるんですよね。でも何十年もずっと見守ってきてて、私はこれと同じってスープに出合った事はありません。
うちのスープって世界に1つだけなんだって気付いたのは、長崎を出た後です。主人ともども麺類が好きなので、いろんな地方で麺類を食べたのですが、順天の味と同じものはなかったです。
これから先もずっと残ってほしいなぁと思いつつブログを書いています。
が、順天ファミリーはそんな事考えてないだろうなぁ。呑気な家族だもん。姉がハラハラします。
2010-03-09 21:52 |
カテゴリ:順天とは?
順天姉です。
今日は順天父の紹介をしたいと思います。
順天父は被爆者です。ちゃんと被爆者手帳も持っています。当時の話も語ってくれるのですが、これがまた笑い話のように話すから怖い。
おいおい、笑っちゃいかんやろ?と思ってしまいます。
「おとーさんは、浦上駅で山のような死体を焼いていた」とか、
「おとーさんは、おなかのすいて、すいて、原爆にあたったかぼちゃば食べたっさ、そしたらおなかの痛とーなってからさ~」とか、
「おとーさんのおとーさんは原爆にあたってからケロイドだらけで帰ってきて4日後に死んだっさ」とか、
こんな事を結構平気で話します。人によっては涙ながらで語る話であろう事なのに、こいつ~(ーー;)
だから、被爆者の方々とは話させられません。たまたま順天父のお友達がお店を訪ねてくれた時も、「おーー生きとったとね」といいます。冗談はよしましょう!って感じです。順天母から「生きててよかったね」と言わんばねっ
としょっちゅう怒られてます。
この順天父、原爆落下時にはたまたま防空壕で寝ていて助かったという「超」運がいい人間です。が、娘からさんざんこき使われ、なお「まだまだ働いてもらうわよ~」と思われてるのでありました。これって運がいいのか悪いのか・・・
配達を担当しております。
近所では「順天のおやじ」で通っています(^^ゞ
↓片足鳥居です。今は通りには車が、脇には歯科医院が、というように生活の中にとけこんでいるんですが、生の声(被爆体験)を聞いた後にここを通ってごらんなさい。
きょわいよ~o(><;)(;><)o ジタバタ。順天の周りってやたら墓地があって、坂本国際墓地の中を通っての出前もめっちゃ怖いです。順天父の原爆の話は昼間に聞きましょう。
ちなみに順天の家の背面は防空壕になってます。家を立て直す際につぶしてしまったのですが、順天姉が小さい時にはまだその防空壕が家の中にありました。長崎にはまだまだ被爆の、戦争の傷跡が残っています。

今日は順天父の紹介をしたいと思います。
順天父は被爆者です。ちゃんと被爆者手帳も持っています。当時の話も語ってくれるのですが、これがまた笑い話のように話すから怖い。
おいおい、笑っちゃいかんやろ?と思ってしまいます。
「おとーさんは、浦上駅で山のような死体を焼いていた」とか、
「おとーさんは、おなかのすいて、すいて、原爆にあたったかぼちゃば食べたっさ、そしたらおなかの痛とーなってからさ~」とか、
「おとーさんのおとーさんは原爆にあたってからケロイドだらけで帰ってきて4日後に死んだっさ」とか、
こんな事を結構平気で話します。人によっては涙ながらで語る話であろう事なのに、こいつ~(ーー;)
だから、被爆者の方々とは話させられません。たまたま順天父のお友達がお店を訪ねてくれた時も、「おーー生きとったとね」といいます。冗談はよしましょう!って感じです。順天母から「生きててよかったね」と言わんばねっ

この順天父、原爆落下時にはたまたま防空壕で寝ていて助かったという「超」運がいい人間です。が、娘からさんざんこき使われ、なお「まだまだ働いてもらうわよ~」と思われてるのでありました。これって運がいいのか悪いのか・・・

配達を担当しております。
近所では「順天のおやじ」で通っています(^^ゞ
↓片足鳥居です。今は通りには車が、脇には歯科医院が、というように生活の中にとけこんでいるんですが、生の声(被爆体験)を聞いた後にここを通ってごらんなさい。
きょわいよ~o(><;)(;><)o ジタバタ。順天の周りってやたら墓地があって、坂本国際墓地の中を通っての出前もめっちゃ怖いです。順天父の原爆の話は昼間に聞きましょう。
ちなみに順天の家の背面は防空壕になってます。家を立て直す際につぶしてしまったのですが、順天姉が小さい時にはまだその防空壕が家の中にありました。長崎にはまだまだ被爆の、戦争の傷跡が残っています。
